関係のない第三者に我々の人生を邪魔されてへっこんでいましたが、いよいよその長
いトンネルから抜け出す日が来ました。ついに在留資格認定通知書が届いたのです。
この紙切れ一枚のために、いままで奔走していたのですから。
入管が在留資格をいちど不許可にしたことで、私の妻に対する気持ちがよりいっそう強
くなり、もともと中国に再訪問しようなどと思いもしなかった私の気持ちを動かしたというこ
とでは、これはある意味、入管効果といえるのではないでしょうか。
ここからは、メルマガ『虹の向こうに妻がいる』でとりあげたものをアレンジして書いてい
きます。
つい先日、在留資格認定証明書を送付する封筒が我が家に届いておりました。
この紙切れが待ちに待ったものなのです。
もう、待ちに待ちくたびれて、そんなことはすっかり忘れていました。
いま思い返すと、一度目の申請の時にはいろんな意味で書類が揃いきってなく、これ
ならば疑われても仕方がないかなぁと思えるような内容であったのかもしれません。
今回ダメならば出るところに出るか、それとも玉砕するか。
そんなことを考えなくもなかったです。
まあそんな物騒なことをしないまでも、いままで在留資格が一発でおりなかった人達に
呼びかけて、『入管このヤロー!』と罵声を浴びせるくらいのことは考えていました。
そんなことをする必要もなくなった私は、幸せな第二の人生に向けて歩みはじめるの
であります。
で、同じ申請を二回繰り返してみて、不思議なことに気づきました。
それは、一度目はまだかまだかと急かす如く、入管へ何度も電話をかけていました。
何回かけたことだろうか。
当初、皆さんが一ヵ月半程度で来るものなんですよと言うものだから、二ヶ月が経過し
た時点で、最初の問い合わせをしたと思います。
それから2週間刻みでは電話をかけていたと思います。
私の場合は名古屋入管の管轄でしたので、職員数も非常に少ないらしく、こんな『ま
だか、まだか』コールがお仕事の邪魔をしていたのでしょうね。
名古屋入管に電話するときには、いつも一度でつながることはなく、どこかのリクエスト
番組に電話をするようなつもりで電話をするのです。
それでようやくつながると、『おい!まだか!』と怒鳴りつけるのです。
名古屋入国管理局管内の申請者が毎日こんなことをすると、必ず自分の嫁さんの許可
のおりる日が延びることになりますね。
わかっちゃいるのだか、黙って待っているわけにもいかなくてねっていう人達がほとんど
だと思います。
聞くところによると、名古屋は非常に遅いことで有名なのだだそうです。
なぜ遅いのか?
それはやはり人員が少ないということに尽きるのでしょうかね。
見たわけではありませんがね。
実は私は、いちど間違えて大阪の入管に行っているんです。
なぜ間違えるんだよ、このバカ!
その言葉、ごもっともです。
でもちょっと聞いてくださいよ。
私の住む福井というところは、ある官庁では関西圏に位置し、ある官庁では中部圏、そ
の他北陸圏とも言われたりして、いろんなブロックに含まれているんです。
役所関係の縄張りを見ていても、各省庁でそれぞれに所属するブロックに違いがあります。
入管の縄張りとしては、福井は名古屋の管轄であったということなんです。
それじゃもうひとついきましょうか。
福井の場合、婚姻要件具備証明書はどこでとるのが正しいでしょうか?
大阪? ブッブーッ。 東京でした。
位置的には絶対大阪のはずなのですが、何故か東京なんですね。
まったくふざけたふりわけをしているんですよね。
こんなところから東京に行くには、それなりの決意が必要なんだよ。
そのあたりをもっと考えなさいよ。
私の場合、一度目の訪中のときに北京の日本大使館で証明書をとりましたから関係あり
ませんが、私なりに考えたことは福井から東京に行くためには、単にこの証明書をとるだ
けのために行けるわけがない。
やはり東京に行ったか らにはそれなりに元を取らなければ帰るわけにはいかない。
そう考えていくと、東京へ行くことは国内でありながらも、安いとはこれっぽっちも感じなかった。
そろばんをはじくと、ハルピンから北京に行って紙切れ一枚をもらい、とんぼ返りで帰るの
と、費用的にはなんら変わらなかった。
北京観光ができなかったことが悔やまれたが、一週間ですべてのことをやるということなの
だから、致し方なかった。
そのケリは、ちゃんと今年6月の再訪中で帳尻を合わせることでつけた。
役所のことをぶつぶつ書いていると収拾がつかなくなってしまうので、この辺にしておくが、
役所の再編を間違った方向で進めると、かなりの数で国民に泣かなければならない人が
出てくるということを頭に入れてもらいたいものだ。
それで結局数えられないくらいの電話を入管に対ししたわけでありますが、気づいてみる
と申請をしてから四ヶ月。
もうぼちぼち結果が出てもいいだろうと言っていた矢先に、
『ガーン!』
在留資格不交付通知書なるものが送り付けられました。
『なんだっぺ?』
むかし住んでいた千葉の銚子あたりの言葉が不思議と出てきました。
私はそのときまで、学校の入学試験だとか、会社の就職試験だとか、資格の試験にいたる
まで、不合格というものもなくはなかったが、これほどの屈辱を味わったのは初めてでした。
普通ならば、電話では不交付の理由を伝えない入管職員に対して、電話をかけ直させて
ゆっくりと聞きましたから、私も相当気合が入っていたのだと思います。
普通は役所というものは、電話をかけ直すというようなことはしないものです。
あのときの入管の言い訳はたしか、
『提出された書類からは、立証できるものがない。』
というものでした。
何か疑わしいものでもあるのかと聞いたところで、はっきりとは答えないでしょうから、とにか
くダメなものはダメなんでしょう。
名古屋に直接出向いて聞いてみれば、もっと詳しいことが聞けたのかもしれませんが、結果
が覆るわけでもないし、これはこれで認めなければならないと自分を宥めることにしました。
でも悔しかったね。
妻のところに電話をしてダメだったことを伝えると、かなり落ち込んだことを覚えています。
私自身、昨年の10月に結婚をして、冬は雪があるから来日を控えることとして、春まで待と
うと考えていましたがとんでもない話で、本来ならば来日するであろう頃に不交付の通知。
桜のなかに戯れる妻の姿をカメラに収めたかったのですが、そんな夢は桜の花びらのごと
く崩れ去りました。
入管と不交付のことについて話しているときに、気がつけばふたこと目には、『もし再申請さ
れるのであれば・・・・・。』という言葉を何度も繰り返すので、私もいいかげん頭に血が昇り、
『なんだ、そのもし・・・っていうのは!』
と怒鳴りつけていました。
するに決まってるだろ。
私のリベンジはここから始まるのでした。
入管も出せないものは出せないので、それならば出させてみましょうホトトギスとなりました。
提出書類は、中国で発行の結婚公証書などは再申請の時には必要なしと言われました。
つまりは、日本で揃える戸籍謄本、住民票、写真、入管に備え付けの書類を基本として、
それ以上の今回の関係を立証することができる書類を揃えていくことになりました。
今回の目玉は、ズバリ嘆願書です。
私ひとりが『妻をどうぞよろしく!』とやったところで、結果は見えている。
やはりここはどこかのお偉いさんとか、主(ぬし)を立てて周りを固めていくということに重点を
おいて進めることにした。
入管の話では、いちど在留資格申請が不許可になったということは、再申請ではそれを覆す
だけの立証できる内容のものがなければ、基本的には結果は同じですと驚かされた。
だから同じことをしても、まったく意味がないのである。
不許可になるには不許可になるだけの理由がある。
しかし、その理由というものをハッキリとは聞きだせないところに、不安は常に付きまとう。
今回はなにをしたらよいというのか。
なにをすれば立証が得られるというのであろうか。
私はこれを一種の裁判と想定することにした。
つまりは、妻が入管から要らぬ容疑をかけられている。その容疑を晴らしていくということ。
妻との関係がこんな状態から始まるとは考えもしなかった。
嘆願書をお願いした人物として、私の両親のもの、相手の両親からのもの、相手からのもの、
勤務先の社長のもの、親戚からひとり、今回の紹介者のもの、それぞれについてふたりの関係
は本物であり、なんら疑いがない旨の記述をお願いした。
このなかで相手の両親とか相手からのものはほとんど効果がないと感じたのであるが、切実に
来日を願っている肉親の気持ちを表すには必要と感じ、ダメもとで提出したのだ。
このようなものを揃えていったので、再申請までは少々日数がかかり、その分遅れた。
急いで作成したからといって中身がないのでは前回と同じことになるだろから、ここは結果を信
じて確実に攻めていったのだ。
他にも提出書類は考えられたが、嘆願書が揃った時点でとりあえず再申請をすることにした。
あとは立証できるものが揃い次第、追加書類として提出していけばいいのであろうから、とにも
かくにも再スタートをきることにした。
なるべく早いうちに再申請にこぎつけたい。
気持ちは高まりと同時に焦りをも感じていました。
再申請は4月の20日過ぎに済ませることができ、中国にいる相手とのやりとりをしていた割に
は早くすることができたと思います。
私自身、なんとかゴールデンウイークの前には再提出したかった。
私の心配をよそに、役人たちはなに知らぬ顔で遊びまくるわけですから、それまでになんとか
して書類を受け取らせたかった。
私のささやかな抵抗であります。
いま提出すれば、結果が出るのは早くて8月下旬、遅くて9月の中旬になると考えていました。
ほぼ予想通りになったと思います。
個人的には夏の海水浴シーズンに来日が間に合えばとも考えていましたが、それは実現しま
せんでした。
とにかく再申請では、なるべく出せるものはひとつでも多く出していこうと思い、いろいろと考え
ていました。
朋友からもいろいろとアドバイスを受け、電話や手紙を継続してやりとりしているというお付き合
いの証明できるものがとにかく必要だということで、揃えていくことになりましたが、ここでひとつ
問題にぶつかりました。
それは私は国際電話をかけるのに格安国際電話カードを使用していたのです。
通信ログ(通話記録)がとれないので、どれだけ電話をしていたのかということが証明できない。
入管のいうところの立証できないという表現は、このあたりのことが不明確で第三者に対して
ふたりのお付き合いの事実を明白なものにすることができないということなのでしょう。
私にしてみればそんなことはどうでもよくって、肝心なことは妻が私のことをどう思っているかと
いうことです。
これが私を動かせる原動力となるのであります。
結局は電話については割高になるけど、普通の国際電話をしばらく利用することにした。
他人様に我々のことを立証するというのは、とても無駄な出費がかかるのである。
入管職員がKDDのまわしものにみえてきたぜ。
その後に利用した国際電話の請求書が届いていたが、その内容を見る限りでは、相手に電話
をしていたという証明ができるのかどうかが、私自身疑わしく思えてきた。
どういうことかというと、相手先の電話番号がここには一切記載されていないということ。
単に、電話した先が『CHINA』としか記載されていない。
電話をした日付と電話をかけていた時間は記録されているけど、これなんぞはまったく違った
ところに電話をかけていても、正直なところわからないのではないかと感じたね。
こんなんでなんな証明になるのかと入管に言ってやりたかった。
次に手紙であるが、我々の場合、言葉のやりとりでコミュニケーションが成立するという段階で
はありませんでした。
私がはじめて中国を訪問するまでには4ヶ月程度の中国語の学習しかしていなかったので、
ネイティブな中国が聞き取れるわけがありませんでした。
特にうちの妻の場合、機関銃のような早口なので、会話をすればするほどにお互いが気まず
くなるといった状態。
ですから、必然的に『筆談』というコミュニケーションが中心になっていきました。
お互い顔が見えないということになれば、なおのこと電話では意思が通じないわけです。
初歩的な英語くらいできればなぁって、何度も思いましたわ。
よくよく確認してみましたが、電話の回数はたいしたことはありませんでしたが、手紙のやりとり
は結構やっていたことに気づきました。
これは驚いたことです。
それで手紙のなにが立証の材料になるのか。
それは差出日(消印)と手紙の内容(肉筆によるもの)でしょうね。
つまりは妻から来た手紙の封筒はみんな持っていかれてしまったということです。
私的には、記念に残しておきたかったものであるだけに、残念であります。
手紙そのものはコピーでよかったので、最悪の事態は免れましたが、それでもやはりトホホで
あるに違いはありません。
基本的な提出書類というのは、この2点になるでしょう。
これらが如何に充実した内容になっているのかということですね。
あとは日が経つにつれて手紙や国際電話のログが手元に集まりますから、それらを追加書類と
して提出していけば、それが継続したお付き合いをしているという証明になると考えていました。
そうこうしているうちに月日が流れ、5月も中旬になり、なんだかふと相手のところに行ってみたく
なりました。
中国で披露宴は済ませていましたが、肝心の親族にはまだ会っていなかったということに対する
ひとつの負い目もありました。
相手の自宅もまだ見たことはなかったし、どんな生活レベルなのだろうかと思えば思うほどに行き
たくなってきました。
お付き合いが継続していれば、人の行き帰りがあるのもごく普通なことであるから。
実はもうひとつ理由があります。
それは、まだ妻と新婚旅行に行っていなかったということ。
だから今回の再訪中には、いろいろな動機付け、関連付けがあると考えました。
非常に重要な意味を持ったと思います。
その内容については、以前のメルマガでも書いてきましたし、私のホ ームページの『中国旅行
記』においても掲載しています。
この中国旅行記の内容の元になるものが、入管への追加書類として提出されました。
ワープロで作成しましたが、用紙が20枚以上にもおよぶ力作に仕上がりました。
これはまさにダメ押し的な追加書類の提出でした。
やれるだけのことをやって、それで結果がダメならば諦めるしかないねと家族とでも話し合って
いました。
このときすでに、うちの両親はふたりのことを心配するようになっていました。
親はみな、子供のことが心配なんです。
この時点において、国際結婚だから・・・というのは親の口からはほとんどありませんでした。
訪中は6月7日から16日までの間でしたが、よくまあこれだけの期間に会社を休むことができた
なぁということと、よくお金が続いたなぁという、自分の生活レベルをまったく無視した、バカンス
ともいえるほどの旅行になりました。
会社の上司も、私をリストラ要員に考えるかと思いましたが、思いのほか 理解がありました。
上司いわく、『いろんなものを見ておくと良いね!とかく日本人は井の中の蛙だから。そういうこ
とができる君が羨ましいよ。』
まさに目からウロコ状態です。
こんなに理解のある上司がうちの会社にいたとは。
私自身、妻の田舎を見てきて、なんかいろいろと思うことがありました。
日本においては月並みな生活も、中国の田舎から見てみればそれはたいそうな暮らしをしてい
るということでしょうか。
けっして贅沢をさせてもらえるような給料は得ていないが、それでも明日食うことに対して特に
困っているわけでもない。
これか幸せだということに気がつくのです。
でも、違ったことも感じたなぁ。
それは、中国の農家って何も仕事をしていないように見えるが、あれで生活ができるのだから、
日本の農家よりも実は生産性が高いんじゃない かっていうこと。
国が保証しているのかな。(うちの妻は農家の娘です。)
食べ物は豊富だし、モノも安い。
なんでものもなく、物価の高い日本に来る必要があるのかなぁってね。
時間の進む早さは同じであるが、時の流れていく早さは明らかに違うと 感じた。
中国から帰国して、追加書類の作成に追われたわけですが、これだけの文章を作成するとい
うのは、他人様が感じる以上に大変なことだった のです。
私は再訪中をするまで、中国には過去一度しか行っていませんでした。
入管はそのあたりを突いてきたのです。
なぜ国際結婚をするような人が、一度しか渡航していないのだろう。
第三者からすれば、そう思うのは当然なことかもしれません。
だから単に渡航回数を重ねるには、仕事を休んで、なけなしのお金をはたいてパスポートにそ
の記録を残せば済むということなのです。
ただ、中国というところはご存知のようにとても大きな国ですので、まったく違った都市に上陸し
ても、それは妻のところに行ったということにはなら ないと思いますね。
いろんな国際結婚紹介所の渡航スケジュールなどを見ていますと、ほとんどのところが2回に
分けて執り行われています。
これは1度目が単なるお見合いの時間に設定されているということもありますが、私的には2度
渡航することにより、継続的に行き来しているということをアピールする狙いもあると。
私は実はこの2度渡航するプランを嫌い、いちどですべてを成そうとしたところに根本的な間違
いというか、落とし穴があったということを感じたのです。
でも、いろんな考え方ができると思いますが、私はいちどの渡航でお見合いから結婚までをし
て、2度目で中国満喫旅行をしてきた、とても幸せなおめでたい奴だということも言えるかと。
入管がいちど在留資格の申請を拒んだのは、考え方を変えれば、私に中国の奥深さを味あわ
せるひとつの機会を与えてくれたのだと解釈するようにし ました。
そう、私はものの解釈で幸せになれるプラス思考の人間なんです。
だから、のろけでホームページが運営できるわけなんですね。
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