両親を説得 〜やってきちゃった〜

日本を発つ前に、私が親に対して発した言葉のひとつに次の言葉がある。

『相手がどんな感じの人かよく見てくるよ。その結果によってはお見合いだけして、あとは旅行をして
帰ってくるから心配しないで欲しい。』と。

この言葉を聞いて、両親は私が結婚をしないことを期待したそうだ。
しかし、第一級元とり技士としては、何もしないで帰ってくるわけがなかった。

この訪中は何のための訪中なのか。

そう考えれば、結論は既に出ている。
不確定な要素といえば、それは相手が私を気に入ってくれるのかどうかということ。
いままで気乗りしないでお見合いに出てきた日本人女性のように軽くあしらわれてしまうこと。
それだけはどうしても避けたかった。

まあ、そんなことを考えるどころかふたりの間には、既に文通によって築かれた信頼関係がある。
今回手紙というもので、相手の気持ちというものがこうもよく読みとれるものかと感心した。
電話や電子メールなどでは味わうことのできない温かみのあるものだ。
こんな時代において、そんな感覚を味あわせてくれた彼女に感謝をしたい。

話は逸れたが、親の意見を無視し中国で結婚をした私は、帰国後早速、両親に報告をする。

『結婚してきたよ。イヤー、俺には勿体無いくらいの人だ。あっ、これっ。結婚アルバム。
どう?モデルさんみたいでしょ』

そう言って両親に結婚アルバムを見せた。
親は何も言わなかった。

ただその表情に、
『このバカ息子が!』
というのが見えたのは気のせいだろうか。

翌日、会社にも結婚の報告をし、結婚アルバムを持っていった。
みなこのアルパムを見て、溜息をついていた。
『綺麗だね。』『モデルさんみたいだね。』彼女に対しては良いことばかり。
私には、『何で男が化粧をするんだ。気色悪い。』『うまく化けたね。』と酷いことばかり。

いいんだよ。男は所詮脇役なんだから。
でも、自称船越栄一郎を名乗る者としては、写真写りはさすがプロが撮ったものだと自己満足
でいた。

その後、親戚関係にもひととおり報告がてらアルバムを見せに行った。
両親も同行しての報告であったが、両親は『反対しないか?』という問いに対して、『式を挙げ
てきた者に何で今更反対せないかんのか。』と逆に聞き返すところがほとんどであった。

当初予想した答えが帰ってこないということに対し、そんなにおかしなことでもないということを
両親も気付き始めたのであろうか。

親族会議を開いたが、両親が『この結婚に対して、みんなはどう思うか。』という問いかけをした
ことに対しては、『どうもこうもない。してしまった以上はがんばるしかないし、私らも応援するし
かない。あんちゃん(父)も姉ちゃん(母)も相手から中華料理を習うとか、ボケを防ぐように考えた
ら良いんでないか!?』という答え。

更には、『向こうでしっかり決めてきたんやろ?』(説明は不要だよな!)と聞かれて、『当たり前
やろが。』と素直に言えた私は、その場のヒーローであったことは言うまでもない。

うちの両親は、反対票を獲得するつもりが逆に親戚一同になだめられてしまったのだ。
風向きは徐々にこちらに向き始めている。

その後、両親の気持ちには変化が見られ始めた。
買い物に行って、今まで目にもしなかったショッピングセンター内の中国物産店に立ち寄り、『こ
んなチャイナ・ドレス似合いそうやね。』とか、『嫁さん来たら、うちの布団では短すぎるなぁ。』と
か言いはじめるようになった。

最近では、『嫁さんも使うやろうから、ハンドミキサー買ってや。』などと言って、嫁さんをだしに
使うことが増えた。
私の家族は兄夫婦が早々に別居しているのだが、両親はこの家に戻したいと考えている。

しかしながら親戚の説得等もあり、次男の私がこの家を継ぐことになった。
中国人の妻が、初めてうちの両親に認められた瞬間である。

現在(2002 FEB.10TH)、入管に在留資格認定通知書の申請をしている
ところで、その許可がでるのを待っているところだが、なんとも待ち遠しい。
会社の同僚・上司もふたこと目には、『嫁さんはまだか。早く連れてきてお披露目会をしろ!』
とうるさい。

いくら化粧で化けた結婚アルバムとはいえ、あの写真を見てしまったら、たとえ他人様の奥さん
でも、見てみたいと思うものだろう。
今の段階ではこれ以上進めないからしょうがないんだよと思いつつも、綺麗な嫁さんをもらった
ことによる優越感に浸っている自分をとても幸せな奴だなあと評価している私であった。


後編の可能性を残してここらで〆ておきます。


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